総合案内へ戻るトップページほんにゃか旅日記千葉県 ≪ 本行徳
本行徳 2004年秋
  神輿を低い位置まで下げ、宙に浮かす担ぎ手(もみ手)たち  

本行徳 本行徳
本行徳 本行徳


(ちょっと時代を感じる異空間ができていました)

 少し古い写真ですが、ここは行徳、敢えて、本行徳と呼び分けることもある地域で、街道沿いに古い家並みが残っています。最近、行徳まつりというイベントがあるようですが、きっと別物でしょう。詳細は分かりませんが、調べた限り、この撮影の一月後に「第一回行徳まつり」が始まったということらしいですね。そちらはYOSAKOIっぽい今風な祭アレンジでした。
 街道に関わる書籍を読みますと、江戸の昔、北の方へ旅をするには船で行徳まで出てから、各街道を歩いて行ったという記載があります。塩作りで賑わった町でもあります。地下鉄東西線の行徳駅とは少し離れた地域が、当時の中心地だったようで、埋立地であったと思われる駅前とは時代が違う世界に迷い込んだ感じがしたものです。今も同じ雰囲気を保っているでしょうか。

本行徳 本行徳 本行徳
本行徳 本行徳 本行徳


 二輪を下りて歩きまわっていましたら、大きなお屋敷の前で祭囃子を奏でています。独特の趣がありますね。幾つか神社があって、提灯や芒で飾り立てられていました。この時期は街中が祭り色に染まるのかも知れません。

本行徳 本行徳 本行徳
本行徳 本行徳 本行徳


 先頭に立って歩いて来られるのは長老の世話人(音頭とり)でしょうか。担ぎ手(もみ手)は若い方が中心です。なにしろ、ご覧の通り、神輿を低い位置でキープしたかと思うと、一気にもみ上げて、はるか頭上へ持ち上げます。1tの神輿を宙に浮かせてスルリと受け取る「放り受け」という危険なパフォーマンスもあります。統率のとれたキビキビした動きが必要ですよね。ご当地では「担ぐ」ではなく、「もむ」と表現するそうです。確かに、神輿はもまれているとしか言いようがないと思いませんか。

本行徳 本行徳 本行徳
本行徳 本行徳 本行徳
本行徳 本行徳


 幾つかの町内会を練り歩いて、一度倉庫にしまわれるのでしょうか。別の衣装を着用した一団が担いで「浅子神輿店」という看板のある建物の袖奥に消えて行きました。500年続く神輿屋「浅子周慶」の店でしょう。江戸でたくさんの需要があった神輿の多くは行徳で作られていたそうです。その完成した神輿は常夜灯が照らしていた新河岸から「舟渡御」の儀式を経て積み出されていたとされます。

本行徳 本行徳

本行徳


ページのトップへ戻る
あなたは2006年6月15日から Counter 人目のお客様です
Thank you ! (^^*) © 2006-2024 Green Moonlight by NYAN