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激しく生きる学舎


なぜか、皆が激しく生きていた独特の気風を持つ水沢高校


 中学卒業に近づき、初めての受験を経験することになりました。まだ、将来に対する強い思いが欠如していたのでしょうね。どの学校に行って何かを学ぼうというような目標を持っていませんでした。ただ、隣町にあった県内トップクラスの進学校「岩手県立水沢高等学校」に対して何となく憧れのようなモノはあったと思います。
 迂闊にも何の予備知識も持たず、雰囲気だけで受験してみたら合格してしまいました。とても、いい加減でしたね。中学の頃、中途半端になって後悔していたバドミントンについて、高校ではしっかり取り組もうと思っていたにも関わらず、入学してみたら、バドミントン部が存在していない「まさか」が判明して、最初から破綻してしまいました(笑)。正直なところ、当時としては相当悩んだものです(後に同好会設立)。
水沢高校応援団
 更に迂闊にも!入学してみたら、そこはバンカラなる不可思議な価値観が蔓延する、超個性的な校風を持っていたのです。これには驚かされました。ずっと水沢の街で育っていたら、それは常識だったのかも知れませんが、江刺で育ち、岩谷堂高校の生徒たちを見て育った身には、違和感そのものだったような気がします。

 訳も分からずに迎えた応援歌練習初日、朝から、緊張でどうして良いのか分からない気分に。
 選択に困って、唐突に美術部に入部したため、オカシな先輩たちの世界に分け入ってしまう。
 経緯は忘失しましたけれど、一年の秋から会計として生徒会執行部の一員になってしまった。

 先輩後輩、不思議な仲間たちが、どんどん、どんどん増えていく、かけがえのない時間でした。


水沢高校の棒倒し  さて、下の荒々しく闘う男たちはナニをしているのでしょうか!

 これは体育祭の一幕です。中心部に棒が立っていることでも分かる通り、棒倒しなる競技の2カット。しかし、これはヒドイ。競技という名を借りた、ほとんど喧嘩ですね。
 紅白2軍に分かれて闘っている訳ですが、もみ合うと訳が分からなくなるので、顔を紅白に塗り分けています(笑)。この日、余り怪我人は出ませんでした。ただ、この日を迎えるまでの怒涛の練習の日々に、何度救急車が来校したことか。今考えると、まぁ、よくもこんな競技が許されていたものです。
水沢高校の棒倒し

 [蛇足的補足]

 棒倒しと呼ばれますが、きっちり訓練を受けた守備隊と棒の根元で踏ん張る団子隊の頑張りで、実際に棒が倒れることは滅多にありません。棒が倒れるまで競技を継続したら、怪我程度では済まないのでは!と言われていました。では、どうやって勝敗判定をしたのでしょうか。
 ふてぶてしい面構えの物理教師率いる判定チームが、120度毎の3方向から棒の傾きを測る独自計測器でチェックしており、15度傾いた段階で旗があがることになっていました。たった15度と思われるかも知れませんが、1回当たり20分程度は耐え続けるのです。最大3回の死闘で決着が付く、体育祭終盤最大のイベントなのでした。
(2014/07/17)

Latest Update 2014/12/05