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黒船の植物標本

米国北太平洋遠征隊が持ち帰った日本の植物
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サイドストーリー (つぶやきの棚 こぼれ話) 2003/12/23
 幕末に伊豆下田に現れたペリー提督率いる黒船艦隊が、日本を開国に導き、明治維新へと時代が流れて行きます。この艦隊は米国北太平洋遠征隊とか探検隊 (U. S. North Pacific Exploring Expeditions) と呼ばれていますが、この船が日本を含む各地から植物標本を持ち帰ったことは余り知られていません。
 黒船はペリー提督の艦隊だけを指し示す言葉ではありませんが、ペリー提督が東インド艦隊司令長官兼遣日特派大使として来日したのは、嘉永6年(1853年)と翌安政元年(1854年)のことでした。この時、随行したウィリアム氏とモロウ博士は、下田近辺で植物を採集しています。引き続き、第2次隊にはスモール氏とライト博士が乗船しており、伊豆下田や横浜のみならず、香港、上海、沖縄、奄美、函館、カムチャッカ半島、沿海州を廻ってカルフォルニアに帰港しているそうです。
函館夜景  実は、彼らが採集した標本は全てハーバード大学に持ち込まれています。エイザ・グレイ教授が中心的な役割を果たし、同定および分析がなされました。この時代、既に大学の要請によって、海軍が植物採集等の便宜を図る環境ができあがっていたという訳です。
 プラントハンターという言葉が示す通り、世界の有用植物は莫大な富をもたらすことが分かっていて、探検隊が盛んに横行した時代だったと見ることもできましょうが、黒船の場合には、やはり植物分類学の基礎研究に供した活動であったという意味合いが強いと思います。

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 以下は、黒船が持ち帰った植物標本に見られるすみれです。
ニョイスミレ :
Viola verecunda A. Gray
タチツボスミレ :
Viola grypoceras A. Gray
エゾノタチツボスミレ :
Viola acuminata Ledebour
(Viola laciniosa A. Gray)
ニョイスミレ タチツボスミレ エゾノタチツボスミレ
 特に、タチツボスミレは黒船による日本コレクションの最初に記録された植物だそうです。また、ニョイスミレも第2次隊のライト博士が函館で採集して記録された最初の植物とされています。
* シーボルトが持ち帰ったコレクションについては、「フロラ ヤポニカ」で知られていますが、こうした少ない情報が米国にももたらされ、前述のエイサ・グレイ教授も注目していました。それは、北米の温帯域に自生する植物と日本の植物に類似点が多いことでした。
 教授は、黒船がもたらした多くの植物標本を同定して、「合衆国の植物学者にとって、植物相(フロラ)に関する限り、諸外国で日本以上に興味深い場所はない」と明記して、後日、北米の温帯と日本を中心とするアジア極東地域の隔離分布について論文を発表しました(1859年)。両地域の対応種に関する比較を行い、580種余りの対照表を付記しているそうですが、これは150年も前の話なのです。


 このページは「よもやま話」の一部として掲載した内容を「サイドストーリー」として再編集したものです。
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