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(続)書籍「スミレの観察と栽培」

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サイドストーリー (つぶやきの棚 こぼれ話) 2015/12/18
 昨年、「スミレの観察と栽培」という書籍の第4版(1993年)を偶然、古本ではなく、新本として普通に書店で購入できた話を書いてみました。今回は、その続編です。
 その偶然に感謝して、あっという間に通読してしまったのですが、一年後、少し時間ができたので、もう一度読み直しをしています。この書籍の巻末には、井波一雄氏WHO!について、「十代の少年時代から植物に興味を持ち、独学独習、野を教室とした野人」と紹介されています。
 野人が何を意味しているのか不詳ながら、書籍の至るところで、とてもおもしろい表現が出てきます。今回は読書感想文みたいなものと思って下さい。
 まず、目次を簡単に紹介しておきます。
書籍『スミレの観察と栽培』  まえがき
 1 世界のスミレ・日本のスミレ
 2 スミレの特徴
 3 スミレの種類と生態
 4 スミレの栽培
 5 スミレの写真とスケッチ
 1~2では、スミレ科植物の世界の分布から、現代の植生に至る進化の過程をひも解き、スケッチを通して詳細に観察した積み重ねに基づいて特徴を解説しています。3では、浜栄助氏の整理に倣い、自生環境毎に区分した基本種の個別説明に多くのページを割き、4~5で、栽培や増殖に関する具体的手法、撮影テクニックに至るまで藩士が進み、全体として、実に幅広い視点で解説されています。
 「スミレの種類と生態」の冒頭、「はじめに」は以下のような文章で始まっています。そのまま、引用してみましょう。

 北はヒグマの吠えるエゾの果から、南はハブにおののく沖縄まで、高山から海浜に及び、水湿地から裸岩上、陽地から陰地まで、人里から奥地離島まで、どこにでも、なにかのスミレが生えていないところはないほどに、日本はスミレの国であるといわれる。
 (中略)
 スミレを愛する第一歩は、彼らが示す各々のスミレの生育環境をくりかえしくりかえし所を変え、時を違えて、現地に汗を代償として、五感を働かせて「観察」することである。人間の浅はかな力によってでなく、自然の神の力によってのみ、彼らはそこに生え続け、そこに人知れず花を開いてきたのである。
 まさに、その通りだなぁと、つくづく思います。
 すみれを求めて山々を歩いていると、必ずしも人間のテリトリーとは言い切れないエリアにも踏み込んでしまうことになります。運良く、ヒグマにもツキノワグマにも直接遭遇は回避できていますが、相当接近していたことが分かり、愕然としたことがありますね。ツキノワグマについては、民家から離れた奥地という訳ではありませんでした。沖縄で隆起珊瑚の崖を登りながら、隙間から怖い顔が覗かないかとビクビクした経験があります。マムシと30cmの距離でにらめっこしたことも…。
 嵐が来れば波を被るであろう海岸の砂に咲くイソスミレやアナマスミレ、同様の岩場に咲くオキナワスミレ、あえて森林限界の上を棲家としたタカネスミレ、更に高い位置に咲くクモマスミレ。渓流の強い流れに耐えるように進化したとみられる渓流植物のケイリュウタチツボスミレ、昼尚暗い陰ちを好む種、太陽に焼かれそうな陽地の石畳の隙間が好きな種などなど、あらゆる環境に進出しています。

 その生きている姿を、実際に、自分の目で観察せずにはいられない、そんな気持ちになります。ただ、井波氏が活躍した時代、沖縄も知床も、簡単に出向くことができる土地ではなかっただろうと思考を巡らせば、その情熱に驚かされ、ただただ頭が下がる思いです。
 元来、書籍の表紙は著作物とすべきでしょうが、おそらく、そこまでナーバスな話にならないものと勝手に想定して、資料としてスキャンさせていただきました。クレームをいただくようであれば、引っ込めます。
サイドストーリー
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