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藤原の郷2020年秋

歴史テーマパーク『歴史公園えさし藤原の郷』

藤原の郷
中核施設の一つ 政庁
藤原の郷 藤原の郷 藤原の郷
(ちょっと時間ができて、夜に「藤原の郷」へ行ってみました)
 『えさし藤原の郷』は、岩手家奥州市江刺地区にある歴史テーマパークです。奥州藤原氏に関連する史跡などを再現しています。
 奥州藤原氏の拠点は隣町である平泉町ですが、ここ江刺は奥州藤原氏の祖・藤原経清と初代清衡の拠点で、彼らが暮らしていた館が近く(餅田地区)にあったとされていることが所以かつ由縁だろうと思います。
 1993年のNHK大河ドラマ『炎立つ(原作・高橋克彦)』を撮影することを前提に構築された施設で、そのまま、恒久的な施設になりました。
 この施設内に設置されている建築物として、先ず、現在も平泉にある中尊寺金色堂があります。藤原清衡が建立した仏堂で、国宝建造物第1号に指定され、世界遺産の構成資産ですが、そのレプリカという訳ですね。実際の金色堂は、新しく作り直された新覆堂の中に納められていますので、外から見ることはできません。因みに、新覆堂を建築する前も、木造の旧覆堂が金色堂を守っていました。
 現在は存在していない「伽羅御所」や「無量光院」の復元された建築物、やはり、再現された大和朝廷時代の城柵や政庁、当時の町並み、堀、牛車が通ったであろう道などで構成されています。ほぼ、そのままで「陰陽師」のような映画のロケが可能な状態にあるようです。
藤原の郷 藤原の郷 藤原の郷
 この夜、ライトアップされた庭園にはTVのニュースクルーが来ていました。実際に、そのニュースをTVで見たように記憶しています。
 紅葉が映り込んだ静かな水面が綺麗かつ優雅で、平安時代の貴族の暮らしを想起させるものがありました。しばらく、見入っていたのですが、ずっと、ここにいる訳にもいきません。
藤原の郷 藤原の郷
 施設内の配置が頭に入っている訳ではありませんでしたので、行き当たりばったりで、歩き回ってみたのですが、いろいろ見所があって、特に坂の上で輝いていた金色堂には驚きました。前述の「覆堂」に納められていたとしたら、別の景色だったことでしょう。
「金色堂」が「覆堂」に納められたのは、奥州藤原氏を攻め滅ぼした鎌倉幕府が、自ら「覆堂」を建立して以降のことです。幕府の地元である鎌倉の大仏(国宝:銅造阿弥陀如来坐像)が、大仏殿に安置されていない経緯とは真逆ですね。発掘調査により、元々、鎌倉の大仏には大仏殿は存在していて、その後、倒壊してしまい、復元されなかったことが明らかになっています。
 因みに、「覆堂」は「ふくどう、おおいどう、さやどう」と読まれ、個人的には、3番目の「さやどう」という表現を用いていました。これは、刀身を収める筒状の入れ物である「鞘」と同意であり、刀身を保護する目的と、その危険性を包み込む目的があると言われます。その「金色堂」には、奥州藤原氏歴代当主である清衡、基衡、秀衡三代のミイラと四代・泰衡の首が安置されています。この時代の鎌倉幕府の思いが伝わってくるような気がします。
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PLAY(注:動画再生に伴って、BGMが流れます! 42sec. loop )
 政庁を背景にプロジェクションマッピングが上映されていました。経文の一部文字から始まり、比較的に長い映像でしたが、その一部をアップしています。
 この施設は、編集者の元「実家」の裏山に位置しています。実家と言っても、高校を卒業するまでの一年程度しか暮らしていませんので、現在は、固定資産税を支払っているだけになっています。この施設を、しっかり観たのは、この時が初めてでした。
 ロケ地として、よくNHKの大河ドラマで利用されています。ロケ地としての利用しやすい施設造り、ロケの誘致、エキストラの動員まで、この施設を生み出して育てたチームは、編集者の幼なじみ達だったようですから、多少の思い入れがあるのです。編集している2024年の大河ドラマ「光る君へ」でも多く登場しており、特に、宮中で「五節の舞」を披露するシーンは、かなり評判となりました。

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