ここは「渡良瀬遊水地」と呼ばれる広大な貯水施設です。それは現在の姿ですが、遊水地が作られた発端は、足尾鉱毒事件、即ち、足尾銅山からの鉱毒が流れて流域に甚大な被害を生じさせた明治時代まで続く公害事件です。この鉱毒を沈殿させて無害化することを目的に作られた広大な溜池が渡良瀬遊水地の始まりという訳です。ただ、表向きは洪水防止が目的であって、公害そのものは時間の経過の底に沈められたままになっているのです。もちろん、現在は治水施設として立派に役立っていますが、土壌には未だに鉱毒が多く含まれていると言われます。
かなり迷って、栃木県に分類しました。それは単に撮影地が栃木県だったことと、栃木県の占める面積が最大であるということであって、実際には栃木県と埼玉県、群馬県、茨城県の4県にまたがっています。因みに
Wikipedia によると『内部の面積は33km²で、山手線の内側の面積の約半分』と記載されています。