←前に戻る

牧野富太郎 スミレ講釈

進む→
サイドストーリー (つぶやきの棚 こぼれ話) 2016/10/11
 シハイスミレなどの学名にAuthorとしても登場する牧野富太郎博士については、改めて補足する必要はないでしょう。
 今年、牧野博士の生まれ故郷である土佐国の「高知県立牧野植物園」で、「すみれ・たんぽぽ展」が行われ、植物園のご協力を得られましたので、サイドストーリーでもお知らせをさせていただいたところです。
 その牧野博士の随筆を集めた『牧野富太郎 なぜ花は匂うのか』という書籍を読んでいます。

 牧野博士と言えば、どうしても図鑑を編纂しているイメージが強くて、多くの随筆を残しておられることを失念していました。書籍を物色していて「牧野富太郎」というタイトルと、サブタイトルの「なぜ花は匂うのか」に目が留まって取り出したのですが、本の目次をたどると「スミレ講釈」という見出しがあることに気づいたのです。『おや、すみれの記事があるなぁ』。ささっと読んでみると、これがなかなかオモシロイのです。

 春の野に菫摘みにと来しわれそ 野をなつかしみ一夜寝にける

 万葉集から山部赤人の和歌を紹介して、「スミレへもこのくらいの愛を持たねば」と述べていたりしています。
 ただ、当時の貴族が野原で一晩を明かしてしまったとは考えるのは少し無理があると感じませんか。ここで独自論を展開してしまいますが、この『すみれ』は得意の比喩的な表現であって、実は女性を意味しているのではないかと考えると、話がすんなりと収まってくる、そんな気がしてしまうのは私だけでしょうか。
 続けて、更に気になる話題が出てきます。すみれという和名に関するものですね。
 すみれという和名の語源について、よく知られている「墨斗(すみいれ)」という大工道具の話題が登場します。そして、牧野博士は「スミレなる名の起こりに対し盲目であるのがむしろ賢いのではあるまいかと思われる。なんとならば実は一たびその語源を知れば、どうもかれの美名が傷つけられるような気がしてならないからである。」と述べているのです。その傷つけられる「かれ」とは「すみれ」のことに他なりません。
 父親が技術科の教師でしたので、家の納屋に墨斗があっておもちゃにしていました。この大工道具を実際に間近で見れば、確かにすみれの花に印象が似ていることが分かります。しかしながら、少し疑問があるのです。
 大工道具の墨斗、墨壷

 墨が入っている部分が「丸いことがポイント」なのですが、なにしろ、大工道具ですから、この形と決まっている訳ではありません。機能だけで作るなら、長方形でも構わないのです。
 また、すみれという言葉ができていく時期に、この道具が既に存在していたのでしょうか。奈良の正倉院に収蔵されている『銀平脱龍船墨斗(ぎんへいだつりゅうせんのぼくと)』は龍頭形の装飾がある船の形をしています。とても、すみれの花にイメージが繋がる代物ではありません。
 太古の昔より、各地の野辺に無数に咲いていた野草の名前が、一部のプロフェッショナルが使用していた道具の名前に由来するという説は、どうも逆説的であり、ナンセンスな印象を拭えません。
 春野爾 須美禮採爾等 来師吾曾 野乎奈都可之美 一夜宿二来

 山部赤人の和歌が再登場ですが、ご覧の通り、万葉仮名で「すみれ」は「須美禮」と記されています。他にも、武将の馬印に由来するなど、幾つかの説があるのですが、「すみれ」という名前は、先ず、音として元々存在していたのだろうと考える方が素直なのではないでしょうか。

 さて、最後に、「墨斗」語源説を唱えたのは牧野博士自身ということになっていますが、この随筆を読む限り、ご本人の明示的な意志ではなかったような気がしてなりません。
サイドストーリー
ページのトップへ戻る