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出逢いの場【NIFTY-Serve】

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サイドストーリー (つぶやきの棚 こぼれ話) 2017/07/17
 インターネットという言葉さえ、まだ一般に普及する前の「昔の話」です。1990年代、パソコン通信という技術で接続利用していた掲示板(スター型)などのコミュニティサービスがありました。NIFTY-Serve(ニフティサーブ)です。その人気サービスは、現在に繋がる出逢いの場でした。
出逢いの場【NIFTY-Serve】  パソコン通信について、あまり詳しく説明しませんが、要するに、一般家庭のアナログ電話回線でモデムを介して、自宅のPCから掲示板を閲覧したり、メールの送受信をしていました。ぶっちゃけ、一般には「電子メール」という言葉さえ普及していませんでしたね。通信速度は推して知るべし!通信料金は電話料金そのものですから、データの送受信に時間が掛かれば、お金に羽が生えて飛んでいく訳です。
 その対策として、ニフティマネージャー(通称「ニフマネ」)というソフトウェアを利用していました。その機能は、アクセスポイントに接続後、各登録フォーラムを巡回して投稿されたコメントやメールの新規分をまとめて送受信して、接続を切るというものです。
 電話料金が発生しないオフライン状態でコメントやメールを読み、必要であれば返信を登録して、一般的には、もう一度接続して送受信していたと記憶していますね。
 現在のように常時接続されていて、リアルタイムに近い状態でコメントの遣り取りをする環境ではないところが、逆に良かったのかも知れません。つまり、少し時間を置いて冷静に読み書きができていたということでしょう。
出逢いの場【NIFTY-Serve】  物持ちが良いのか、NIFTY-Serveの登録完了通知を保存していました。因みに、登録完了日は1995年12月17日ですから、最盛期ですね。使い方マニュアル「はじめてのNIFTY-Serve」も保管されていました。
 さて、NIFTY-Serveの最も人気があったサービスは「フォーラム」、つまり、掲示板だったのですが、各掲示板には、それぞれ担当シスオペがいて、いろいろな意味でトラブル対応されていました。よくできた環境だったと思います。

 このフォーラムで、趣味や興味を共有できる多くの方々と出逢いました。老若男女であり、知識や経験レベルにはバラつきもあって、今思えば、おそらく相互に刺激しあっていたのだろうと思うのです。
 植物に対する視点というか、興味を向ける角度のようなものを教えてもらったと思っています。アケビの話題が出れば、葉っぱの数を記載するのは常識だよねぇ、といったこと。それで、また話題が膨らむのですね。また、情報の取り扱い(例えば、自生地情報など)については、皆さん、厳しく考えておられました。つまり、掲示板に「ここに咲いているよ~!」という類の安易な情報を流そうものなら、結果として盗掘を誘うことになってしまうと、相互に教え合っていたものです。

 ネチケットという言葉があり、お互いに嫌な思いをしなくて済むように「守るべきこと」や「工夫」が勧められていたのですが、現在のSNSでも似たような問題があるということは、ネット上での会話はなかなか難しいのでしょうね。
出逢いの場【NIFTY-Serve】  時折、「オフ会」が開催されました。ネット上での情報交換をオンライン、一方でネット外、つまり、実際リアルに集まって情報交換する場をオフラインと表現したという不思議な言葉です。その「オフ会」で顔見知りになった方々の中には、継続して連絡している方もいます。

 差し障りなさそうな写真を持ち出してきました。1999年2月に行われた水元公園オフのワンシーンです。もう少し人数がいたように記憶していますが、これは何をしているのでしょうねぇ(笑)。
 こうした出逢いは、別の催しなどで(偶然の)出逢いに繋がったり、写真展などのイベント開催、書籍や学術論文の編纂に繋がったり、当時、想像していたよりも幅広い展開を見せました。


 この「花の写真館」というサイトの基盤ができつつあったのは2000年前後なのですが、この頃、ニフマネ仲間の意見を聞きながら、少しずつ構築していったのです。インターネット時代への変遷期でもありました。
 因みに、現在も使用している「NYAN」というハンドル(ネット上のニックネーム)は、この時期に思いつきで付けてしまったものですが、まさか、それから四半世紀も使い続けているとは思いもよりませんでした(笑)。
サイドストーリー
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