主に多雪地帯に自生するナガハシスミレは、長い「距」と呼ばれる部分の特徴からテングスミレなどとも呼ばれて親しまれています。花の展開図があれば分かりやすいのですが、この距は下弁(唇弁ともいう)に付属した袋状の組織です。ナガハシスミレの場合、この部分が特に長くて、花の後方に持ち上げているので「ちょんまげ」のような姿をしています。「距」という漢字自体は雄鶏の蹴爪を意味するそうです。
ナガハシスミレに限らず、すみれの距の中には、5本中2本の雄しべから「脚柱(雄しべの距)」と呼ばれる突起が伸びて納まっています。蜜は脚柱の先から分泌されますので、この蜜が欲しくて花を訪れる昆虫たちは、ここまで潜り込むように口吻を持っていかなければなりません。昆虫たちは花の正面から頭を突っ込んで口吻を伸ばすことになりますが、この時、上から降り注ぐ花粉をかぶって他の花に運んでくれますので、ナガハシスミレにとっては歓迎すべき「お客様」でしょう。彼らは送粉者(pollinator:ポリネーター)と呼ばれます。
一方、距を横から食い破って蜜を盗もうとする「裏口入学」型の昆虫たちもいます。こちらは盗蜜者(nectar robber)と呼ばれます。この招かざる客に対して、ナガハシスミレは無防備でいるしかないのでしょうか。
かわいそうですが、距を除去してみますと、2本の脚柱が見えてきます。この先端に蜜線があって蜜が滲み出る訳ですが、ポイントは下弁の距と脚柱(雄しべの距)の長さに一定の相関関係がないこと?です。
蜜が分泌される出口である脚柱の先は袋をかぶっていますので、後ろに回り込んだ盗蜜者には見えません。その出口が長い距のどこにあるか、不特定の位置にあれば検討を付け難いということになります。これが対抗策という訳です。
福井県と青森県で相当数の個体を調べて、距内の脚柱の位置(距の先から脚柱の先までの距離)にはバラツキがあることが分かりました。
上の昆虫たちですが、左はタチツボスミレにしがみついて口吻を伸ばしているビロードツリアブです。一方、右は丸っこい体とふわふわした毛が特徴のマルハナバチの仲間でコマルハナバチ(オス)で、ともにすみれ訪花頻度の高い昆虫たちなのです。ただ、マルハナバチの重さをすみれの花茎では支え切れそうにありません。口吻も短くて、すみれとの相性が良いとは言えないように見えます。
実は、ナガハシスミレに訪花する昆虫たちに関する調査を、80年代半ばに行っていた方がいます。植物形態学に関する市井の研究者である田中肇氏です。ご本人の家に伺った際、直接いただいていた資料を改めて読み返してみました。資料とは以下の2つです。
・「ナガハシスミレの虫媒受粉(植物研究雑誌、第60巻第8号、1985年)」
・「ナガハシスミレの花と昆虫(大阪市立自然史博物館 Nature Study、第34巻、1988年)」
同じ調査に関する報告という体裁の資料ですが、特に後者で「~ナガハシスミレは、長い距とでたらめな比率の脚柱を用意したのです。そうすることにより、強奪者に蜜の正確な所在を探知しにくくし、強奪者の訪花頻度を下げることに成功したのだと推定できます。」という考察を述べています。
ナガハシスミレの母種が北米に自生していますが(* この関係については、現在、否定されつつある)、70年代半ばにBeattie氏が同様の調査を行っているそうです。その際も田中氏と類似した結果を得ていて、ナガハシスミレをツリアブ媒花とみなしています。
(2009/02/19) Latest Update 2024/08/27 [100KB]